テニス自分史vol.1 心美 記憶喪失になり全てを失った過去
テニス自分史 vol.1
記憶喪失になり全てを失った過去
~テニスと自分史が人生を変えた!! ~
西岡良仁プロ春日井イベント 主催者 心美
[まえがき]
私とテニスとの出会いは2017年8月、40歳を過ぎてからでした。学生時代にスポーツをしたことがなく、スポーツが苦手な私にとっては、最初はボールを打ち返すことも至難の業でした。
右手の手根管症候群の手術をしたり、右目の網膜裂孔の手術をしたり、1年半ほどテニスを休んでいた時期もあります。
持病のある私は体力もなく、テニスをたくさんすることはできないのですが、サークル運営やイベント主催をしたりすることで、たくさんの方と交流することができ、今ではテニスで人生が変わったと言っても過言ではないほど、充実した日々を送ることができています。
1人でも多くの人にテニスの素晴らしさを伝えたい。
1人でも多くの人にテニスを始めるきっかけとなってもらえたらと思い、今回「テニス自分史」として、人生を絡めたテニスのお話をしようと思い、心の扉を開いて本音で語ろうと思いました。
「テニス自分史」を通して、みなさんも自分の人生を考えるきっかけになってもらえたら、とても嬉しいです。
2025年1月吉日 心美
[ネクラな学生時代~笑わない子どもだった~]
母親のお腹にいるとき、胞状奇胎(ぶどう子)になった私は、奇形児は免れたものの薬を服用されていたせいか、歯黒で病弱な赤ちゃんではありましたが、1974年12月奇跡的にこの世に誕生しました。
7歳のとき、両親が離婚。そこから担任の先生に「笑わない子」と指摘されるほど、同級生からネクラといわれるほど、性格も暗く人見知りが激しく、友達もいない存在感のない学生時代を過ごしました。
中学生になったときも、病弱で体力がなくスポーツができなかった私は、演劇部でした。
[記憶喪失と3度の結婚]
22歳で1度目の結婚をした私は、会社経営をする夫の仕事を一緒に手伝いました。
家族経営の小さな会社でしたが、私が手伝ってから5年、年商20億まで達成し夫の年収は1億になり、長者番付にも載り、雨の日は雲の上になるくらい高層の、名古屋の億ションの最上階も購入し贅沢な暮らしをしていました。
しかし、お金があっても心が満たされなかった私は、お金があれば幸せと考える夫とすれ違っていきました。
28歳の時、それがストレスだったのか、ある日突然、原因不明の記憶喪失になりました。夫も両親も家族のこともわからなくなり、自分のことすらわからなくなってしまいました。
わかるのは日本語だけの状態で、お医者さんからは、一生、記憶が戻ることないでしょうと言われました。
すべての記憶をなくしてしまった私は、夫も仕事もお金も、なにもかも全て失いました。
子供がいなかったのが不幸中の幸いだったかもしれません。これ以上、何も失うことはないはないという、人生のどん底を味わいました。
それまで趣味が読書で学生時代から休日は1日中、家で読書をするという生活をしていましたが、記憶喪失になった後遺症で、たくさんの文字をみると頭が疲れてしまい、大好きな本も読めなくなってしましました。
2回目の結婚は32歳の時、一人娘を授かりましたが、産後、4年間、寝たきりの状態になってしまった私は、結婚生活を続けることができず、実家に戻り離婚となりました。
3回目の結婚は、41歳の時。テニスをしているサラリーマンの夫のおかげで、私がテニスをはじめるきっかけとなりました。
[テニスとの出会い]
2016年に再婚した夫が、20年ほどテニスしていて、週末になるとシングルスの練習にいつもでかけていたのですが、その練習相手の方が転勤になっていまい、練習相手がいなくなってしまいました。
テニスはストレス発散だと言って、毎週末テニスをしていた夫がテニスができなくなって不憫に思った私は、夫のためにテニスを始めました。
ところが、いざテニスをはじめても、当たり前ですが、まともにボールを返すことすら、できませんでした。
でも、どうしても2人でテニスがやりたくて、初心者OKのサークルを探して行くようにしたり、スクールに入って毎日、通いました。当時は初心者クラスが受け放題のスクールでした。
それでも、スクールではゲームがやれる時間が少なくて、ゲームが好きな私はもっとゲームがやりたくて、テニスを始めて半年後に、春日井でテニスサークル月の砂漠を立ち上げました。40歳過ぎて、初心者が行けるサークルがなかったのも理由でした。
その頃の私は、専業主婦で1日中、家にいて社会から孤立した状態でした。
社会人になってから、学生時代の頃のように友達を作るのも難しいなと感じていた私でしたが、サークルを作ってからは、学生時代のころのように利害関係のない仲間がたくさんできて、本当にテニスって素晴らしいなって感じました。
1回の参加費もコート代とボール代をいれても、4時間で500円ぐらいに設定していたので、ラケットとテニスシューズがあれば、そんなに高額ではないですよね。
専業主婦の私でも、無理なく始められて続けることができました。
[西岡良仁プロの春日井のイベント]
2022年3月。メンバーの1人から、市のテニス教室に行ったらコートが5面もあるのに、3人しか参加者がいないと聞いたり、市の大会も女子ダブルスが2組しかエントリーがないという話を聞きました。
たまたま、その年の夏に、翌年の春日井市制80周年記念事業「市民団体企画事業」の企画募集があり、春日井市の硬式テニスを活性化させたいという思いから、西岡良仁プロのイベントと硬式テニスの大会を4大会企画して応募しました。
テニスを始めたときにちょうど「自分史」の活動もスタートさせていたので、それがきっかけで、西岡プロの自分史トークイベントを企画することもできました。
イベントを開催することができたおかげで、持病がある私でもボランティアですが活動範囲が広がり、それまで交流できなかったような、たくさんの方たちと繋がることができ、本当に充実した日々を過ごせるようになりました。
[あとがき]
春日井市制80周年が終わり、大会も西岡プロのイベントも「また開催してほしい!」という、うれしいお声を本当にたくさんいただきました。
大きなイベントを開催というのは、1人ではできなくて、みなさんにご迷惑をかけてしまいます。でも、テニスの魅力を伝えることができる活動ができたらいいなとは、ずっと考えていました。聞き書き「テニス自分史」なら1人でも活動できるし、ネットで発信することで多くのみなさんに伝えていけるのではと思い、新しくスタートすることにしました。
1人でも多くのみなさんにテニスを始めるきっかけになってもらえたら、1人でも多くのみなさんにテニスの魅力を発信できたらいいなと思っています。
ネクラだった私が心から楽しいと思えるくらい、充実した毎日を送ることができ「テニスと自分史が私の人生を変えた!!」と本当に思っています。
まだ、テニスを始めていないみなさんもこれから掲載していく、他のみなさんの「テニス自分史」も読んで、ぜひテニスを始めるきっかけになってもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
テニス自分史vol.1 心美
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